夏休みにおけるもう九月だね考察

 

もう九月で涼しいです。

こう急に夏が行っちゃいそうになるとさみしくなります。

暑い暑い言っててごめんね。もうちょっと大丈夫だよ。

 

夏の終わりはさみしいというのは夏休みが終わるからだと思ってたけど、ちがうんだ。きっと僕は夏が好きなんだ。夏の終わりの寂寥感をまだ味わいたくない ていう夏の名残惜しさではなくて純粋に夏が名残惜しい。そういう気持ち。

 

こういうことを文にきちんと表現できたらなと思う。

例えば紀貫之だったら31文字にその思いを託すのだろう。

僕にはできない。いくらがんばっても読み返すと そうじゃない って分かってしまう。思っていることを表現できる言葉を紡ぎだせない。でもそれはきっとあって、スパッと表現できた「答え」があると思う。

 

昨日講演会にスタッフとして行ってきて、その時に「本の星座」というゲームをした。

ルールは 5人ぐらいでの参加が必要で、本の作品とその作品の要素を出して、違う人がその要素から違う作品をだしり新しい要素でつなげたりして本と本を関連要素の下つなげて書いていくというもの。そういうわけで星座に見立てているのだ。

初めてやってみたけどとても楽しかった。

友蔵内でもぜひやりたいし、発展させていろいろできると思った。

友蔵内のあの個性の下でならすごいものができると思う。

 

そして一つ思ったことが、僕はまだまだ本を読んでないなということである。

これはいつも思うことなのだけど、まさに本の星座をやると痛感する。

各人がおのおの思うように要素と作品をつなげていくのでどんどん内容が広がっていく。自分が知らない本、読んだことない本がどんどん出てくる。

でもどうしてつながるのか説明しながら書いていくのでその本について興味が出てきて、あまり読まないようなジャンルでも読みたくなってくる。

ここが本の星座の一番面白いところだと思う。

 

本というのはほぼ無数にあって、それこそ星の数こそある。

僕たちが一生かけても読める本なんてほんの一握り。

圧倒的に読んでない本のほうが多いのだ。

星座すらたくさんある。星座になっていない星はもっともっとある。まだ観測されていない本はさらに・・・。僕たちはそのほとんどを見ることができない。

本も同じである。

本の星座はそんな読んでない本と戯れるゲームだと思う。

読んでない本とどうやってかかわっていくか、これの一つの形である本の星座も 読書 だと思うのです。

(続く)