デミアン (ヘルマン・ヘッセ)

 僕たちは読書推進委員会なわけで、みんなに読書をどんどん進めていこうという名分を持っているのだけど、それが達成されているかというのは特に問題としなかったりします。

きっと毎日の読書に必死なんです。

「毎日の生活で手一杯で何故生きているのかと問いかけたりしない」みたいなものでしょうか。

でも僕自身、一つ、こいつには読書の習慣をつけることができたと思う人がいます。

その子を仮にKとしましょう。

今日は僕とKとの本を通じての関係の話をしたいと思います。

 

 Kとはもはや1年以上の付き合いとなっており、今では互いに毎週本の貸し借りをしています。そして読書会と言わないまでも簡単に感想を言い合ったり議論をします。

Kは物事を深く考え込む癖をもっており、ありがちな哲学的な問いかけに悶々と悩んでいるような人でした。僕もそういうのは好きでわりと話も合うことからそれなりに仲良くなりました。

そのころの僕は今よりも量としての読書が大きく、僕が本好きということを知ったKはある日本を貸してくれと言ってきました。

Kはあまり本は読まない人だったので、僕は読みやすい、けどKが好きそうな本で僕としても是非読んでほしい本を3冊選び貸してあげました。

Kは3日後には全冊返してくれました。

そして僕と同じようにその本に感動してくれました。

それ以来僕はKに本を貸し続け、今では互いに思う本を貸し合うようになりました。

いまやKは僕とはちがうジャンルの本に精通したりしているので借りた本から刺激を受けたり、また借りた本に関しては自分の考えが言えるように深く読むので自分の読書の幅が広がったように感じます。

 

 つまり、なにが言いたいのかというと、読書というのは孤独なものだということがあるけれども、本の貸し借りをすると作者との対話の他に、借りた相手との対話が読書中に行われると思うということで、それは楽しみだと思うということだ。

そしてその本について互いに話し合うことは「しゃべるためだけの話」ではなくて、各々個性的に、思考力や空想をもって読んだ、自分とは異なる読書体験について話すことでそれは自分の読書の読めなかった部分を補い、より深め、重層的にするものだと思う。

 

 まぁさらになにが言いたいのかというと、読書会したいねっていう話です。

 

 さらにさらになにが言いたいのかというと、実は自分でもなにが言いたいとかもはやなにがなんなのかよく分からないということでもありまして。

 

 さらにさらにようするに デミアン 面白いよってことです。

 

 さらにさらにようするにすなわち、そろそろくどいのでおやすみなさい。

 

 

 

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