「パンがないならばケーキを食べればいいじゃないの。」麗しきマリー・アントワネットはこのように言った。18世紀の終わり頃である。社会が混乱し、市民が生活苦と飢餓に苦しむ中王妃はそのような世界を了解出来なかったのです。
この言葉が単に、苦しむ市民の上に立つ物の分からぬ王妃の貴族発言というように捉えて失笑するというだけでは、きっとこの言葉事態200年もの間残ってはいなかったでしょう。
意味するところはなにか。他の例は身近な所にも見受けられます。英語ぐらいはしゃべれないといけない、コンピューターは使えないといけない、大学の間に旅にでかけろ、もっと本を読め・・・。僕らはそれぞれ別の人生を送ってきてそれぞれに考えることがあると思います。そしてそれらを語るとき僕らはどこかマリー・アントワネットになっているのではないでしょうか。
確かに一般論を語るときにはどうしても画一性というものが帯びてきます。ある程度は仕方ないとは思います。しかし僕らはその事を自覚しているのか、それをしない人たち出来ない人たちのことを考えたことはあるのかと問いかけたい気持ちです。僕たちもなにか過ちを犯していないのかと。
そしてもう一つ、言葉面だけを捉えて、失笑ないし感動など自己完結させないことです。
汝自身を知れ この言葉も意味するところが深い言葉ですが、僕はこの言葉を拠り所にしようと思っています。
汝自身を見極めようとすると、どこまでも深い階段を下っていく気分になります。そして何か語るときにはまだ先があることが分かっていながらも、一度立ち止まらなければいけなりません。ただきっと下るにつれてその甘いお菓子もどんどんと洗練されていき、身のあるものとなっていくと思います。
自分自身、自分の考えをイデオロギーの外側に立ち吟味したいものです。
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